2011/04/03

日本人とシンガポール人

初めて日本人に知り合ったのは三年前、日本の合唱団に入る時だった。合唱団のメンバーはほぼ日本語を勉強しているシンガポール人だが、その時のコンダクターは日本人の福島先生だった。練習の時、先生は私たちにいつも丁寧に話していたから、日本人の女性はみなそんなに優しいという印象を抱いた。いつも微笑(びしょう)して、私たちの声が悪くても、先生はいらいらしないで「もう一度歌ってください」と言っていた。それに、何が指示(しじ)があったら、いつも「お願いします」を付けてよく説明してくれた。だから、日本人が友達と家族以外の人と話す時、いつも丁寧に、好きなのか好きではないのか、顔に表現(ひょうげん)しないように感じがある。

シンガポール人なら、個人の考えと意見を表現するのをもっと注視(ちゅうし)しているような気がする。学校で、生徒にどうやって自分の考えがはっきり言えることと書けることを教えている。だから、シンガポール人は知り合ったばかりの人と話していながら、自分の考えと気持ちを表現するかもしれない。特に、西洋化された若者は、自分が好きなことと好きではないことをよく表現すると思う。一方では、相手が自分の考えがよくわかるようになるが、他方ではぶっきらぼう(blunt)な態度(たいど)がちょっといやかもしれない。

だから、シンガポールにはシンガポールなりの考え方があって、日本には日本なりの考えがあって、どちらのほうがいいとも言えないだろう。

1 comment:

  1. 日本の集団主義は、やりすぎると、自由に自分の意見がいえない、KYと呼ばれることをこわく思う、のように悪いこともありそうですね。いい点はおたがいに学びあえるといいですね。

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