2011/03/19

日本語と私

もう三年間ぐらい日本語を勉強しているから、いろいろなことを習った。日本語を学んでいるうちに、日本語の勉強だけではなくて、日本の文化についても習えるから、面白いと思う。でも、日本語の勉強は面白いことは面白いが、ものすごく難しいと思う。

私にとって、一番複雑なのは敬語だと思う。英語では、丁寧な言い方があるが、それにしても、特別な敬語の言葉がないだろう。日本語では、たくさん敬語の言葉があるから、あまり覚えられなかった。それに、いつ敬語を使うか、使わないか、あまりわからない。例えば、「です」は敬語で「でございます」になる。でも、「でございます」を使いすぎないほうがいいと言われている。たくさんルールがあるから、分かりにくいと思う。

それに、日本語では、発音が大体同じな単語がたくさんあるから、よく間違ってしまった。例えば、「纏める」と「認める」と「求める」と言う単語をよく間違えてしまった。それに、日本語でしゃべている時、たくさん間違いをするから、おかしなこともあった。日本語三のプロジェクトは日本人の小学生に大学を案内することだった。私のグルプが小学生を講堂(こうどう)へ連れて行った時、私は「これは経済学の講義だ」と言いたかったけど、「これは警察の講義だ」と言ってしまった。昼食していた時、「牛肉を食べている」と言いたかったけど、「牛乳を食べている」と言ってしまった。恥ずかしくて、おかしかったから、今までも覚えられる。

日本語の勉強がとても難しいが、一方で、いろいろな練習をして、日本語に上手になるのは自分にいいチャレンジのではないだろうか。

日本語と私

日本語の言葉を初めて聞いたことは十一歳ころだった。友達に紹介されたSPEEDの歌を聞いて、すぐ彼女のダンスと音楽にひかれていた。この時から、どんどん日本の文化や日本語に興味があった。


最初に簡単な言葉は歌詞から学びいたものだ。いつも歌を聞きながら歌詞を見て、色々な言葉の読み方をできるだけ覚えるようにしていた。それにしても、言葉の意味はあまりわからなかった。だから、科学技術が進歩すれば進歩するほどインターネットは日本語を習うのに便利だと思う。私はインターネットで字幕とロマン字があったコンサートやドラマを見ると、言葉の意味も読み方も書き方も全部習えた。


そんな日本語の練習だけを三年前までにしたものの、やはり正確な文法を習えなかった。小学校から高校までの勉強と部活動はもう時間がかかって、外で日本語のクラスをできなかったので、大学で日本語を一つモジュールとして習い始めた。


日本語モジュールのため、広島でホームステイの経験があった。ホストファミリーに日本語で話せなければならなかったから、大変だったが、日本語でコミュニケシオンをできて、すごくうれしかった!日本で働いたりする機会あれば、絶対にしてみたい!

日本語と私

初めて日本語に接触した時は小学校の頃でした。その頃、私は放課後に通っていたデイケアセンターの先生が日本語好きで、私たちにも教えてくれました。しかし、その時、ひらがなやカタカナの書き練習は半月ぐらいしか続けられませんでした。他にも、簡単な挨拶などを教えてもらいましたが、中々覚えられませんでした。やはり、その時の私にとって、英語と中国語の勉強だけで精一杯でしたかもしれません。

その後、私は何度も日本語の勉強に戻りたいと思いましたが、中々そうしませんでした。そして、2008年の年末、私は高校を卒業し、台湾に旅行しに行きました。自由旅行でしたが、一日だけ団体旅行に参加しました。そこで、同い年の日本人の女の子―マリさんと知り合いました。その時の私は全然日本語を話せないので、マリさんは私との会話を続けるために、必死で慣れない英語で私と話をしたり、私の言葉がよく分からなくても頑張って分けれようとしたり、時々ガイドブックまで出したりしました。結局、私が唯一日本語で言えた言葉は「あなたは可愛いですね」でした。その言葉は確かに当時の私が知っていわずかの日本語の中の一文でしたが、そうかといって、ただ言って見たかったわけではなく、私の本音でした。マリさんは日本で育てられたためかもしれませんが、シンガポールの女の子とは何かが違って、可愛い雰囲気がただよっていました。その時、私は「日本人の女の子って、皆そんなに可愛いかしら」と思いました。

マリさんと話した時、言葉が通じない時は本当に悔しかったです。今でもその悔しさをはっきり覚えています。そして、台湾から帰ってきたあと、私は日本語の勉強を始めました。今思えば、マリさんとの出会いが引っ掛けで、私が本格的に日本語の勉強をし始めたのかもしれません。そして、今はこうして文章まで書けるように成れた事は、本当にうれしいと思います。

マリさんとは携帯の番号を交換しましたが、日本では多分携帯電話が番号ではなく、メールアドレスを使っていると思います。ですから、どうやって連絡を取ればいいのかよく分かりません。今、マリさんと出会ったからもう二年ぐらいを経ち、彼女は私のことをまだ覚えているかどうかも分かりません。ですが、もしもう一度マリさんと会うことができたとしたら、私は感謝の気持ちを伝いたいです。マリさんとの出会いのおかげで、私は日本語を真面目に勉強しようと思いましたからです。そして、今度こそちゃんと日本語で彼女と話すことができるから、お互いの言葉が通じないことなんてもうないとうれしいです。

「日本語と私」

 最初、どうして日本語を習おうと思っていたか?人によって、理由が違うが、私はやっぱり日本のアニメや音楽から日本語との接触が始まった。そういう日本のポップカルチャーを楽しむからだんだん日本に興味があって、そして翻訳や字幕がなくても日本語がわかるようになりたい考えがあったと言う理由は多いだろう。私は小学校や中学校の時、だいたい英語と中国語の音楽やドラマを楽しんだが、高校生になったら、アニメなどをよく見たり日本の音楽をよく聞いたりしていて、いつの間にか前に好きな英語と中国語の音楽や番組を忘れてしまったようだ。多分高校の時、周りの友達もみんな急に日本のドラマやアニメをよく見て毎日ドラマについてしゃべっていたから、私も影響を受けたかもしれない。それで、日本の色んなポップカルチャーが好きになって、それから日本と日本語に興味があったせいで、専門の決まりも日本研究に替えた。それはソフトパワーの影響力か?!

 だが、授業で日本の色んなことと日本語を勉強しているのは日本のポップカルチャーを楽しむのと全然違うんだね。日本語と特に日本研究の勉強が意外と大変に遅く気づいた。それにしても、できるだけ日本語をちゃんと習い続けようと思って、卒業した後でも日本語を使い続けられる仕事をしたい。だが、もうすぐ3年間日本語を勉強していた学生としてはまだ日本語で話すのが苦手だと思う。例えば、話す時、言いたいことを考えて日本語に翻訳するのは時間がかかってしまうから、なかなかぺらぺらに話せない。それに対して時々自分にがっかりした。でも、いつかうまくしゃべれるようになりたいから、これからも頑張り続けるんだ。

日本語と私

始めて日本語に気がつくのは5歳ぐらいでした。おばさんの家に漫画が多いでしたから、私はよく行って、漫画を読みました。5歳だったものの、字があまりわからなくて、絵しか見られないですが、ドラえもんの漫画が大好きでした。ドラえもんの“ド”の点々は目が二つありますから、とでも面白いと思いました。それに、漫画は中国に翻訳したから、中国字とカタカナの書名は全然違って、おかしい書名だと思っていました。

その時、母はマレーシアの番組も見ました。その番組でドラえもんも放送されたから、ドラえもんはマレーシアで作ったに違いないと思っていました。幼稚園に行く前私は日本のことを知らなかったですが、幼稚園に行った後先生から国籍のことを教えてくれて、私は日本のことを知りました。

小学生時、食堂でポッキーを買ったものでした。毎日のように授業の前にきっとポッキーを買って、教室で食べたと思い出します。教室で物を食べてはいけませんでしたから、先生がわかったら、教室の前で立たせました。ですから、いつも友達にあげなかったら、先生に文句を言って、私は必ず教室の前で立たせました。友達は本当にばかでした。皆さんはこんな経験もありましたか。

日本語と私

日本語と私は奇妙な関係があると思う。私と日本語はたぶん恋人のように付き合っている。時々けんかをして、時々恋に落ちている。私はどうして日本語に知り合いになっているか、今でもはっきり思い出せない。でも、日本語と私はもうすぐ10年目の記念日になりそうだ。今後もずっと日本語と付き合っていきたい。

小学校五年生の時、初めて日本語に出会った。小学校で空手道を習いながら、色々な日本語の単語も学んだ。例えば、「礼」、「()()」、「(かた)」など簡単の単語は練習の時よく使っていたものだ。そして、中学校から高校一年生までずっとシンガポール教育省語学センタ(MOELC)で日本語を正式に勉強していた。その5年間は本当にいい思い出だった。

高校を卒業した後、かえって日本語と別れた。義務兵役の二年間は日本語と全然接触しなかった。大学に入ると、日本語の勉強を始めようとしたら、疑惑や不安を抱いて日本語の勉強を諦めてしまった。それにしても、一年生の時、日本研究学の「日本語の映画とアニメ」というコースを取った。そのコースで、きっかけに日本語が話せるグループメンバーに会って、日本語で20分のビデオも作った。そこで、また日本語を勉強しょうと思っていた。

今は日本語5の学生で先学期と比べてよほど忙しいのに、日本語をもっと理解できるように、できる限りで、頑張りたいと思う。

組み手:sparring
形:a series of body movements/actions for demonstration purposes



2005年MOELCでのJCAとJCBクラスの皆

日本語と私

最初に日本語に紹介されたものは幻想魔伝最遊記というアニメだ。その前に、他の日本のアニメを見たことがあるけど、だいたい英語や中国語で放送したから、日本語を知るようにならなかった。毎日そのアニメを見ていたから、簡単な言葉を学ぶようになった。でも、その学んだ言葉は悪い言葉だから、普通な会話に使えない。例えば、サンゾというキャラクターは、いつも「うるせ」や「お前を殺す」や「ばか」などそのような言葉を言う。友達にその言葉を言ったら、友達が少なくかもしれないのではないだろうか。

 そのアニメを見ながら、日本語は聞けば聞くほど歌のようだと思っていた。そう思う人は私とは限らないのではないかと思う。習ってみたいと思ったから、MOELCで日本語の勉強を始めた。でも、毎週MOELCまで通うのに時間がかかったし、成績もよくなかったし、結局二年間しか勉強しなかった。

日本語の勉強をあきらめたのに、アニメを見ることが続いた。そうすると、だんだん日本について興味がなった。そいうわけで、大学に入ってから、日本研究を専門にして、日本語の勉強をもう一度始めた。今、日本語の勉強はすごく難しいけど、興味があるから、できるかぎりよく勉強したいと思う。

Note: MOELC は Ministry of Education Language Centre です。そこでいろいろな第三語が勉強できる。

日本語と私

子供の時によくテレビで日本のドラマやアニメを見ていたけど、昔の外国テレビ番組はたいてい中国語で放送していたから、日本語を聞く機会がなかなかなかった。だから、私が初めて日本語で見たドラマは5年前の「野ブタをプロデュース」というドラマだった。

二日でそのドラマを見て、山下智久というジャニーズの芸能人が好きになった。その時の私は、高校を卒業したばかりなので、暇な時間がたくさんあった。そして、毎日インタネットで日本の番組を見たり、山下が入っているグループ「NEWS」の音楽を聞いたりした。でも、字幕を見なければいけないから、もし自分が日本語がわかったらいいと思った。だから、私はインタネットでひらがなを習って、「山下智久」の読み方も調べた。

今の私はもう三年間に大学で日本語の勉強をした、時々字幕を見ないでドラマやアニメを見ることをする。もちろん、意味がまだ全部わからない。先日、私はもう一度「野ブタをプロデュース」を見た。一番うれしいのは、前よりドラマに出て来た言葉の意味がもっとわかるようになった。日本語でわかった意味は、英語に翻訳したのはちょっと違いがある。それは語学のすばらしさだと思っている。

日本語と私

初めて日本語に接(せっ)したときは中学校の3年生だ。あの時、偶然にテレビで日本のドラマを見て、好きになっちゃった後、色々な日本のドラマを買った。以前ほとんどのVCD・DVD のオーディオは日本語で、ダビングがないので、たいていオーディオを聞くより、むしろ字幕に頼(たよ)っていたから、あまり日本語を大切にしなかった。

でも、初めて友達に借りたSMAPのコンサートのDVD を見てから、字幕がないので、何を言うか、歌うか、全くわからなくて、ものすごく困った。「じゃ、日本語が上手になるようにがんばろう!」と決めたけど、そんなに簡単なことじゃないのはすぐわかった。何もわからないで自分で勉強してみることはやはりいけない。漢字と単語は易しくわかるものの、文法と助詞はなんか難しいと思った。

コミュニティーセンターで習いに行ってみたけど、先生は毎週学生に日本語で話しただけで、文法とか、助詞とか、全く教えないから、何も習わなかった。その理由で、早くあきらめた。大学に入ったあと、ちゃんと勉強するべきだと思って、今まで続けている。

日本語とわたし

日本語に興味を持つ理由を考えると、やっぱりダイソーに感謝しなきゃ。昔クッキーを作りたいときとか旅行に便利なことを買いたいときなんてはいつもダイソーに限ると思ったから、よくダイソーへ行ったものだ。それで、買ったものの使い方がもっとわかればいいと思って、日本語を勉強したくなった。

簡単すぎて笑える理由から始まった興味なんだけど、習えば習うほど、この興味はどんどん強くなった。勉強は難しいし時間もかかるし疲れちゃったと感じたときもあるが、やめたいと思ったときは一度もない。私にとって日本語の魅力は具体的に説明できないけど、一つの理由は日本の文化や社会などに興味もあるだろう。とにかく、日本語は私にとって特別な意味がある。とても好きで、文法や表現や言葉に困れば困るほど、もっと挑戦して乗り越えていきたい気がするくらいだ。

ほかの勉強もこんな感じで進めれば今の成績は違うかもしれないなあ。

「日本語と私」

最初は中学校の時に日本語を勉強する機会がありましたが、その時は時間も興味もあまりないので、残念ながら、結局取れなかったです。次の機会は、友達に一緒に日本語を勉強するように言われたので、それを始めました。友達もう日本語の勉強を続けませんでしたが、それにしてもその後も何となくどんどん日本語に興味を持てようになって、今でも日本語の勉強を続けています。

私にとして、日本語と趣味は共生(きょうせい)関係があるかもしれないと思います。趣味が漫画やゲームなどなので、一方(いっぽう)では日本語がわかれば、漫画やゲームなどの話もっとわかるようになったはずです。他方(たほう)では趣味が日本語の練習材料例題(れいだい)になることができます。それで、母に私がゲームをやっている時見られて何をしてると聞いたら、日本語の練習をしてるよと答えます。

そして、日本語のおかげで色んな人に出会ったことができます。日本人と他の日本語を勉強してる友達と日本語で話せるし、練習するし、勉強も楽しくなって、本当にいいと思います。これから日本語でもっとよくなりますようにがんばります。

2011/03/18

「日本語と私」

日本語を始めて勉強したときはあまり覚えていなくて、詳しく説明できませんが、始めて日本のことに興味があったときははっきり思い出せます。毎週の土曜日、小学生時代の私はまだ幼稚園に行っている妹と一緒にテレビの前に座って、「カードキャプータさくら」と言うアニメを見ていました。中国語で放送しましたが、テーマソングはオリジナルの日本語で、吹(ふ)き替(か)えされませんでした。今考えると笑いますが、そのごろ、昼食も食べずにテレビを見ていたくらいでした。もちろん、母に「ご飯が冷たくなったよ!」としかられました。それにしても、私と妹は毎週の土曜日の朝にテレビの前に座ったものでした。

「カードキャプータさくら」のテーマソングを聞いて、日本語がきれいだと思ったことをよく覚えています。たぶん、そのときから日本語をいつか勉強しようと決めました。何年後、日本語がそんなに難しくなさそうと聞いたので、日本語の勉強をやっと始めました。日本語はやさしいに違いないと思いましたが、かえって難しくて大変です。一方ではあきらめたくなりましたが、学校の休みに日本語を克服しようと勉強しました。あきらめなくてよかったです。今、日本語の文を読むとき、もっと単語や文法がわかります。それで、自分の進歩が見られて、本当にうれしいです。

それにしても、日本語のレベルはまだまだなので、もっとがんばりたいです。できる限り、暇なときに復習しようと思います。日本語が上手になるように、一生懸命がんばります!

日本語と私

中学生の頃、日本語のゲームがきっかけとなって、初めて日本語に興味があるようになった。その頃、日本語のRPG(ロールプレイングゲームrole-playing game)をしていたが、日本語が全然わからなかったため、内容も全くわからなかったし、ゲームもなかなか進めなかった。それで、日本語を勉強したくなった。しかし、私が住んでいた町はあまりにも小さくて、日本語の教室がなかった。自分で勉強しようと思って、日本語の辞書と教科書を買ったりしたが、結局ひらがなとカタカナの書き方しか学ばなかった。そのせいで、日本語のゲームをするのも諦めた。しかし、日本語を勉強するのを諦めたわけではなかった。ただ日本語の教室に行ける機会を待っていただけだ。

そして、何年も経って、その機会が来ないまま、私は大学生になった。大学に入ったら、日本語の授業があるのを知って、嬉しかった。最初は2、3学期くらい取るつもりだったが、勉強すれば、勉強するほど日本語に興味があった。日本語は複雑だが、漢字が多いおかげで、新しい単語を覚えるのはそんなに難しくない。日本語を勉強してから、最初にやったゲームはDSの「幻想水滸伝」だった。その時、日本語2が終わったばかりだったから、知らない単語と文法がたくさんあった。それでも、私は諦めずに、そのゲームを最後までやった。その時の達成感は今でも覚えている。

そして、あっという間に、私は日本語5の学生になった。日本語の推理小説にも興味があるようになったから、図書館から「江戸川乱歩短編集」という本を借りた。しかし、卒論や宿題で精一杯だから、読む時間はなかなかない。その本を借りてから3ヶ月も経ったが、半分しか読んでいない。今の目標は卒業する前にその本を読みきることだ。

日本語と私

もともと日本の漫画や音楽が大好きで、漫画や曲の歌詞がわかるようになりたかったので、日本語を勉強し始めようと思っていました。いまだにこういう気分も持っていますが、私には日本語の勉強が単に漫画や音楽のためではないです。日本語の学習に伴って、きれいな言語だなぁという感じがだんだん溢れてきて、以前よりももっと好きになったわけです。

なぜ日本語がこんなに特別でしょうか。特別だというよりも、私には日本語が特別な魅力が詰まっています。日本語で書かれた古典文学も現代文学も、簡単な語彙で強い感情が伝わってきたり、短い文にも実際に存在しているくらい表したりできるのは、日本語の特徴なのかなぁと思います。文学が好きな私にとっては、この力を持っている日本語が特別に見えるのです。

それに、日本語が上手になれば日本文化にもっと深く触れ合えると思います。もちろん、漫画や音楽なども日本文化に欠かせない部分なので、今でも日本語の勉強に拍車がかかっているのです。